今回は、「下手な文章をどうしたら直せるのか」ということをずっと悩んでいて、ちょっとしたことがきっかけで改善の糸口をつかんだ・・かも!という話です。
平易でわかりやすい文章を書けない悩みをもつ方の参考になれば幸いです。
文章がヘタという自覚はあれど・・
私は文章が下手。決して謙遜ではない。
少なくとも読みやすい文章か、と言われるとNOだ。
私の書く文章は「冗長でまどろっこしい印象を与える」ということに、ここ数年で多くの方にアドバイスやフィードバックをもらうことで気づかされた。
友人からは「古くさい」ともいわれた。
中でも印象的だったのが「あなたの文章は『黒い』んです」と言われたこと。
Web上で書いたものを見た人が、改行やスペースがあまりない文章を見て
「webの場合は、もう少しすき間があったほうが読みやすいし、読みたくなる。真っ黒い印象だとそれだけで読みたくなくなる」と。
なるほど、と思った。それは確かにそのとおりだと。
しかしフィードバックをもらうたびに「何がどうダメで」は認識できるのに、「どうしたら改善できるか」には長いこと悩んでいた。
もちろんフィードバックをくれた人の多くは、改善案や「こうしたらいい」というのをかなり丁寧に教えてくれたのだが、いざ直そうとするとどうにもうまくいかない。
さっきの「黒い文章」と言われたときも、改行やスペースを入れてみたものの、余計に変な感じがしてうまく直せなかった。
なぜ、うまく書き直せないのか・・いわれたとおりに修正して「読みやすい文章とは世の中ではこういうものだ」と思い込んでも、どうにもしっくりこなくて仕方ない。会社やスタジオのサイトで記事をたくさん書かなければならないのに、書くことができなくなってしまった。
「書いてもどうせ自分流になって読みづらいだろうし、そんなの誰も読まないし」と、ひがみ根性のようなものが沁みつき、それでも腐らずフィードバックに沿って書こうと試みたものの、とうとう何も文章が出なくなってしまったのだ。ネタはあるのに文章にならない。
会社やスタジオのサイトを魅力的にしたいし、記事も書かないと検索順位はどんどん落ちる、ただでさえ集客に苦労しているのに・・
何も発信できないことは私の中で焦りを生み、かなりのストレスとなっていた。
そんな悩みが、ちょっとしたことがきっかけで「もしかしたらこういうことか?」という兆しを最近つかんだ。
それは、先日、4年振りに降った大雪がきっかけだった。
ふつうは使わない単語が口から出るクセがあった
ここはちょっと話が脱線する。
4年振りの大雪は、国土交通省が事前に「不要不急の外出は控えよ」と緊急発表するほどの警戒レベル。
しかし、都内の会社に勤める人の多くは通常通り出社し、いよいよ雪の降り方が、だれがどう見ても「積もるだろう」となったころに各企業が一斉に早めの帰宅命令を出した。当然、交通機関は大混乱し、主要ターミナル駅では入場規制が敷かれるほどの混乱ぶり。
この状況について何気なく交わした友人との会話がきっかけで、私は自分の文章のクセの背景にある根本的な理由をハッキリと知ることができた。
各企業が一斉に出した帰宅命令。電車や駅が混乱するのは目に見えていて、どうにアホらしいなーと思った私は「社員の安全を考えてたとは思えないよね」と友人に投げかけてみた。友人は「社員の安全ってどこまでなのかな?」と私に問う。
「会社には『予見しうる範囲での安全配慮義務』 があるんだよ」と私。
なんてことはない会話。
でも、私はこの会話のあとに、トイレに行きながら頭の中で何かの信号が出るのを感じた。
そしてそれが分かった瞬間に全てが繋がったような気がして興奮状態でトイレから戻ってきて友人に再度問いかけた。
「さっき私、『予見しうる』とか言ったよね?」
なんのことか分からない友人はキョトンとしている。それもそうだと思う、別に重要な会話ではなかったし。
しかし私にはめちゃくちゃ重要だった。
日常会話ですんなり「予見しうる」なんて単語が出てくる人ってそうそういないはず。
ふつうは「わかる範囲」とか「予測できる」とかだと思う。
「予見しうる」という単語が無意識に出てくるということは、つまり頭のなかがすでに小難しい単語や表現で埋めつくされているのだ。
ちなみに私は偏差値的な意味でも頭は良くないし学術的なことは得意ではない。性格もどちらかというといい加減で、雑な人間だ。小難しいことなどまるで嫌い。
でもなぜこうなってしまったのかは思いあたるフシがあった。
法律の勉強でこびりついた文章スタイル
大学4年の終わりから4年ほど公認会計士の勉強をしていた時期がある。
会計士の資格は簿記や原価計算などの会計分野だけでなく会社法や民法などの法律科目も受験科目としてあった。
私は会計系よりも会社法と民法にドハマりして、一番好きだった。勉強時間は法律科目の方が多かった。
そして、この会社法や民法の論文試験で書かされる回答にはパターンがある。
記憶のかぎりたどって書くので今は違う可能性もあるが、
最初に、問題の定義づけ・条文論拠・条文解釈・判例論拠、そして結論。
文章そのものも小難しい表現や単語、言い回しが沢山あった。
きっとこの時に培ったものが自分の文章のクセとなり頭にこびりついていて、平易な文章が求められる場面でも今もなお、無意識に出てしまうのだ。
誤解のないように書いておくと、当たりまえだけど法律科目を勉強した人がこうなるわけではなく、あくまでも私の場合は、である。
かつて法律を勉強した人でも、求められている状況に応じて分かりやすい文章を書ける人はたくさんいると思う。
今にして思えば、会計士の勉強をしている時期にいろいろなジャンルの本を読んだりしていればきっと違ったかもしれない。
その時は民法が好きすぎて判例ばかり読んでたのだ。
そしてなんとも残念なのが、会計士の試験に合格はできなかった。ホント、アホとしかいいようがない、もうサイアク。
でも幸いなことに、その後のキャリアでは勉強したことを活かした経理やコンサルなど、一般的に「やや硬い文章」を扱う仕事が多かった。
だから自分の文章のクセが裏目に出るような場面はないまま来てしまったのだ。
(いや、本当はダメだった部分もあるけどきっと気づかないだけだった)
「黒い文章」をつくっていた漢字の多用
話を元に戻す。
私の文章は「とにかく冗長でまどろっこしい、古くさい印象を受ける」
この根っこにあった原因は20代で勉強したものが影響していた。
「黒い文章」と言われるのは、おそらく、文章の中に漢字が多用されているからだと思う。
口語的な表現のほうが良いときにもわざわざ漢字で単語に置き換える、それも見慣れない単語で。
パッと見、漢字が多い文章はむずかしい印象をもつので、たしかに読む気がうせる。
そこにヘタに改行やスペースを入れてもかえって黒さが際立つのだ。
だからいわれたとおりのアドバイスを実行しても「なんとなく変?」という感覚を拭うことはできずに書けなかったのだ。
そもそも私は小さいころから漢字が好きだし、ひらがなだらけの文章は、本当はたぶん好きじゃない。
この記事も意識しなければ漢字だらけになってしまっていて、何度もあとからせっせとひらがなに直している。
気を抜けば「自分の文章に変な癖がついてしまった要因は20代の時に勉強した内容が発端だと思う」とか書いちゃうのだ、なんだその論文口調?という感じだけど、これが今までの私の文章なのだ。そりゃ読みたい人なんていないわな。
友人からのアドバイスで聞いた話では、文章にしたときに、ひらがなでも通じる単語はわざわざ漢字に置き換えないほうが伝わりやすいらしい。
「おとなの小論文教室。」を連載している山田ズーニーさんの著書も、私が最初に抱いた印象は「ひらがなが多いな」だった。
学術的なものが求められるときは別として、人になにかを伝えるときには無理やり漢字をつかわないほうがいいんだ、という気づきは大きな財産になった。
地道にやるのみ!
ということで、長々と書いてみたけど、この記事も読み返すと「長いなー」という印象がある。つまり、冗長なのだ。
まぁ当たりまえか。だって今は根本原因にたどりつけただけで技術は備わっていないんだもの。
でも、何もできずに焦りだけ感じていた今までよりちょっと前進できてる気がする。
文章ってむずかしい。
でも、小さな改善を積みかさねていけばきっと良くなると信じてやるしかないなと思う。
2018年1月22日に降った大雪は記憶に残りそうだ。
(私が今、文章を書くのに参考にしている本)