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「やり遂げる」に執着したときのはなし

投稿日:2018年2月15日 更新日:

 

「 ・・・・です。一番がんばっていたのは○○さんです。」

一人ひとり反省の弁を述べたあと、「この3日間で一番 “ がんばっていた人 ”」を発表する。多くの人が私の名前を口にする。

自分の名前を言われるたびに言いようのない戸惑いと、胸になにか、つかえるような違和感を覚える。名前を言われれば言われるほど、何か得たいの知れない圧が、ゆっくりと胸の奥底から押し上げてくる。

 

——-

東京ビックサイトで開催された3日間の展示会を終えて、誰もが疲労困憊の体を引きずりながらも早々に会社に戻る。部署全体での反省会が始まるからだ。

 

40人を超える社員が、会議室でところせましと円卓上になって、それぞれが3日間での成果と反省の弁を述べる。鬼軍曹の営業本部長は、むすっとした表情を浮かべながら、成果が出てない者や明日からの行動が述べられない者へ、容赦なく檄を飛ばす。

「だから、なんなんだ」

「そういうことを聞きたいんじゃない」

「お前は3日間、寝てたんだな」

 

この会社で2ヶ月前に営業企画として採用された私にとっては、すべてが初めてのことで、そして目の前で繰り広げられる光景に相当ビビッていた。この展示会を仕切ったメインは自分だった。この展示会から契約がどれくらい取れるかは、そのまま展示会の成否だ。果たして自分はどこまでそれをやり遂げたのだろうか。

 

———

前の会社では一年ちょっと経理を担当していた。都心の一等地に自社ビルを持つ企業、といえば華々しい感じだが、創業80年を超える卸売商社で、いわゆる古い体質の日本企業そのものだった。

 

大学を卒業してからも続けていた公認会計士の勉強を、4年やっても結果が出ず、見切りをつけて何とか正社員で就職できた会社だった。

27歳目前にして、ある程度の会計知識はあるとはいえ、社会人としての経歴がない私が正社員で雇ってもらえたのは奇跡に近い。だが、ザ・日本企業的な文化や風土についていけず、入社から一年を過ぎた頃に退職。

次に転職した会社がそれまでとは真逆の、血気盛んなベンチャー企業だった。

 

財務経理を希望して転職活動をしていたが、面接を担当した当時の管理部門の役員から「自社の数字を扱うのに、どういう事業でそれが出来ているのかを学んだほうがいい」といわれ、「営業などできるだろうか・・」と不安に思いつつも、最初は営業企画として仕事をすることになった。

 

今にして思えば、人員不足だった営業部隊へとにかく誰でも突っ込みたかったんだと思う。

応募していた財務経理も人が足りていなかったのだが、急成長真っただ中のベンチャーらしく、とりわけ営業は、つねにガンガン攻める姿勢。取れる獲物は何でも取りに行く時期だった。使えるか使えないかは、やらせてみて判断すればいい、使えなければ切り捨てる。そういう文化だった。

 

右も左も分からない状態で営業部隊につっ込まれ、配属された初日に、「仕事をやりっぱなしにするな、相手の進捗を必ずその場で確認しろ」と営業本部長から、みなの前で派手に怒鳴られるという洗礼も受けた。

 

本部長は基本的に結果が出なければ怒鳴り散らし、机を蹴る。言い訳を言えば問答無用にこっぴどく怒鳴られる。だが、必ずしも全員に同じようにしていたわけではないように見えた。

彼は、私の「褒められても伸びない、叱られて悔しいと思わせたほうが伸びる」という性格を見抜いていたかどうかは知らないが、とにかく私は部の中でもよく怒られていた。未熟な私は、こらえても出てしまう涙を押さえられなかったこともあった。

 

配属されて2ヶ月、ずっとこんな調子だった。あまりにも怒られすぎていて部の中では「できないヤツ」として見られていたと思う。自分でも「このままこの地獄のような状態で仕事をやっていくのか・・」と心が折れそうになっていた。そんな状態で、ついに、企画としては大型のイベントである、東京ビックサイトでの展示会を担当することになったのだ。

 

 

営業企画の仕事は、営業部の数字を達成するための施策、営業マンが契約を取りやすくなるようなあらゆる企画を立てて実行すること。いわゆる商品に特化した広報的な仕事だ。

 

営業資料を作る、取引先を集めて講演会をする、広告の出稿など、とにかく数字につながる施策を考えてやる。

数字を達成するという意味では人手も要るので、人事のルートを無視した形で社員を採用するという破天荒なやり方もまかり通っていた。(人事が預かり知らない応募者に内定を出して、入社準備よろしく、と依頼する、完全にナメたやり方だった・・)

 

担当することになった、ビックサイトで開催される3日間の展示会は、3万人を超える来場者数が見込めるイベントだ。営業マンはここぞとばかりに来場者へ営業をかけられるチャンス。営業マンが営業しやすいように、「自社ブースに一人でも多くの来場者を呼び込む」ことが営業企画の必須命題。

 

しかしそもそも展示会が何なのか、何をどう準備したら良いのか当時の私にはさっぱり分からなかった。それに入社してから怒鳴られすぎていて、半分思考停止状態だったと思う。先輩社員の指示待ち状態で、自分から相談もせずにあらゆることを放置してしまい、ついには先輩社員からも叱責された。

 

だが、いよいよ展示会の日まであと1週間という頃、それまで手探り状態でただ焦るしかなく、ほとんど何も進められずにいただけの私に、突然スイッチが入った。

なぜかは分からない。その時はとにかく「これは やり切らなければいけない」と思ったのだ。

 

自分でもよく分からない状態だったが、とにかくスイッチが入ってからは、すべてを完璧にやるには時間が足りないということをすぐに認識した。なので、まず私は会社の近くにウィークリーマンションを借りた。

 

一人暮らしをしていた私の自宅は、会社から1時間弱の距離にあったが、通勤時間がとにかく惜しかった。入社してから毎日、終電ギリギリの残業続きだったこともあり、睡眠時間を削られる通勤はとにかく苦痛だった。

安月給の社員に一人暮らしの家賃とウィークリーマンションの家賃はかなりの負担だったがそんなことにも構っていられない。

 

とはいえ、展示会までの1週間は借りたウィークリーマンションにでさえ、寝に帰るわけではなく、シャワーを浴びに帰るくらいだったと思う。それくらい会社にいる時間が長かったし、平日ほとんど寝ずに仕事をしていて、休日にも出社してきた私を見た先輩は半ばあきれ顔をしていた。その時は、なぜそんな反応だったのかわからずに、不思議で仕方なかったが。とにかく必死だった。

 

そして迎えた展示会初日。予想どおりというか、想定できていない準備不足が重なり「企画、なにやってんだよ」と何度も営業マンから怒られる。部長から怒られる。すぐに対応する。このままだと集客がヤバイ、足りていない、ならば何かできないかと展示会終了後、社に戻ってリプランを検討。初日も2日目も、結局、家には帰れなかった。確か、家に帰れなかった先輩2、3人と大江戸温泉あたりに行ったような気がする。

 

なんやかんやと怒涛の3日目が終了し、営業マンがアプローチできた見込み先もまぁまぁあったようだった。これで一息つける、と思っていた矢先、このまま会社ですぐに反省会があると言われたときは、この3日間ずっと立ちっぱなしでむくみあがった脚は、もう折れそうな気分になった。

 

そして会議室で反省会が始まる。

各部の部長からの3日間の成果をざっと報告、本部長がその後のアクションを確認する。本部長からは、各部課の行動がどうだったか、という話もあった。

展示会を仕切っていた営業企画には、準備不足のゴタゴタもあり当然、厳しい話だった。

 

ひととおり話が終わった後に今度は、各部員一人ひとりが、3日間の成果と反省、今後のアクション、そして最後に3日間で「一番がんばっていた人」を発表する。

営業本部では、全体でとりかかる仕事ではこういうものを発表するようにしているらしい。

 

その場でそのことを知った私は、周囲がどんな状態だったか、「がんばっていたかどうか」なんて視点では見ていなかったので戸惑った。とりあえず、来場者になんとか話を聞いてもらおうと試行錯誤を繰り返していたのをたまたま見た営業マンの名前を口にしたと思う。正直、他の人の発表は寝不足と疲れのせいか、あまり頭に入らなかった。

 

しかし、みなの発表をおぼろげに聞いていると次第に自分の名前が出てくることに気づく。

「一番がんばっていた人」で自分の名前がことごとく呼ばれる。

変な気持ちになった。違和感。胸の奥底から押し上げられる何かに胸糞悪い気分になった。

 

 

営業は結果が全て、という世界で「がんばったかどうか」なんてどうでもいいじゃないか。

自分が「がんばっている人」に見られているのもとにかくイヤだった。初日の集客が振るわず、すべてのことが後手後手の対応ざんまいで散々な結果なのに。

「結果が出てなきゃ寝てたのと一緒だ」と、本部長、あんたもさっきそう言ったじゃないか。

 

「がんばっている」という曖昧な視点を、他の社員がどんな風に捉えていたかはわからない。怒鳴られまくってたダメな社員が、急にやる気だしてそこそこ一所懸命取り組んでて見直した、と好意的に捉えてくれただけかもしれない。

 

しかしそんなことは、私にはどうでもよかった。

私はただ、結果が出るようにやりきりたかっただけだ。ひたすら「やり遂げる」、そして「結果を出す」そこだけにしか意識はなかった。

 

 

——–

この出来事から10年以上は経過している。

たいてい過去のことはあまり覚えていないのに、このとき感じた、違和感、胸くその悪さはきっとかなり強かったのだったのだと思う。

そして、おそらく「やり遂げる」ことに必死になって取り組んだけど、望んだ結果にならなかったこの経験が、社会人としての私を確立させたように思う。

 

仕事観ともいえるか。

 

今になって思えば、「逃げるか、やるか」の選択だったということだと思う。もちろん、当時はそんなことを考えられる余地もなかったし「ここが勝負の分かれ目だから逃げずにがんばろう」などと思ったわけではない。

むしろ当時の状況からは「やる」以外の選択肢などなかったと思う。

 

とにかく本能的に「やり切る」を選べたのだ。何がきっかけかは今もわからないけどそれは本当によかったと思う。

 

あの時以来、雇われの身だろうが、自分で仕事を作る立場だろうが、私にとっての仕事は「労働」ではなくなった。「価値ある結果」を出してこそ、の仕事だと、おぼろげに意識するようになったように思う。だからどうしても働き方という意味では言えばブラックになってしまうことが多かった。体がついていけているうちはそれで良かった。

そろそろそれは見直さないと難しいな・・体の悲鳴を連日聞いているような気がする。

 

仕事に行き詰っているような気がしたので、特に意味はないけど、自分なりに仕事というものを振り返って書いてみました。

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(旧HNはモルト) 会社員を経て2016年より独立。エアリアルフィットネススタジオWeBA(ウィーバ)を運営。 これまで経験したこと、起業にまつわるアレコレ、日々の仕事、趣味など発信していきます。ブログについてはこちら