運をつかむひとと、運が寄ってくるひと、なんとなくどちらかに分かれるような印象があります。
とても漠然とした感覚ですが。
わたしはスピリチュアル的なアレはほとんど信じないので、なんとなく感じてるレベルだけど、いつも精力的でチャンスをつかみに行っているなーというふうに見えるひとと、
チャンスがいいタイミングで巡ってきているように見えるひと、分かれる気がします。
自分はどちらに分類されるるか?と考えたときには、確実に前者です。
いままでを振り返ってみたとき、わたしには運とかチャンスがいいタイミングで寄ってきた!と思えることはほとんどないように思う。(でも、ゼロではない)
チャンスは自分からつかみに行かないとわたしの場合は何も得られない!という気持ちがわりと根底にあります。
なので、チャンスがいいタイミングで巡ってきているように見えるひとは、とてもうらやましく感じます。(つかみに行くタイプは、精神も消耗しやすい)
隣の芝は青く見えるだけかもしれませんが・・。
すこし見方を変えると、わたしのように「運はつかむもの」と思っている(思わざるを得ない)ひとは、もしかしたら、寄ってくる運やチャンスに価値を見出していないということも考えられます。
寄ってくる運はゼロではない、けど、無意識のうちに自分の中で選別しているだけなのかも。
あるいは、単純に、受け身なのが嫌なだけ、ということも考えられます。
行動したい、自分から運かチャンスか嗅ぎ分けたい、みたいなほうがストレスがなくて好きなのかもしれません。
寄ってくるものに実は価値を感じていない可能性というのも、つかみに行くほうが好きというのも自分に当てはまる気がする。。
ここまで書いて気づきました、もう一つありました。来たものを信じる怖さ。
とくに年齢が上がるほど、いろいろな経験値が上がるほど、寄ってくる運やチャンスをストレートに信じられそうにない。
きっと、気持ちのどこかに「損したくない」とか「効率的に時間やお金を使いたい」というのがあるからだと思います。
ちなみに、わたしの中で「あれは本当に運が良かった」と、心の底から「いいチャンスが向こうからやってきた!」と思えた経験は、覚えている限り1回だけです。
高校2年生のとき。
商業高校に通っていたわたしは、その後の進路を就職するのか進学するのか、决めかねていました。
在籍している生徒の8割は就職し、進学する場合は専門学校系が多く、大学に進学する生徒はわずかです。
当時のわたしは、「就職よりも進学したいなぁ、進学するなら大学がいいなぁ」くらいの感覚。高校での成績は、比較的、上のほうではありましたが、そこは「商業高校」というレベル感からいうと、いわゆる名の通った大学に通えるレベルの学力はありません。
(しかも比較的良かった成績は、簿記とか情報処理とか商業高校にしかない科目、一般科目は普通レベルです。物理や世界史は苦手だったし)
過去の卒業生も商科大学とか、そっち系が多い。
なんですが、自分の学力は及ばないことを分かっていながらなんとなく商科大学じゃないところに進みたいという身の程知らずな気持ちでした!w
なので進学したいけど「〇〇大学に行きたい!」という気持ちも持てずにいました。
そんなときに舞い込んできた、大学の推薦枠。
本当にラッキーなことにわたしが受験する年から、ある一般大学の推薦枠が、通っていた高校に割り当てられたんです。
学部は経済学部、名前も知っているし!担任の先生もわたしを推薦したいと言ってくれてる!
という、突然舞い込んだチャンスに何も考えずに飛びつきました。
それがあって、今に至ります。
きっとあの推薦枠がなかったら進学どころか東京に出てきたかどうかも怪しい。
今の仕事は目標を決めてたどり着いたわけではなく、流れるままにたどり着いているけど、コンサルの仕事したりポールダンスやってなかったらきっとたどりつけないはず。
いつの頃からか運を待つ側ではなくつかみに行く側になりましたが、今にして思えば高校2年のときに舞い込んできたチャンスは、必要にして充分だったのかなとも思っています。
だから、これからも運をつかみに行く側でいいかな。寄ってきてくれるのを待てそうにないわ、やっぱり。