最近、日々の食事を適当に済ませたり、食べ合わせを考えないご飯にしてしまうと疲れるようになりました。
適当というのは、コンビニで買ったものだけで済ませたりバランスを欠いた食生活という感じです。食卓の色がいわゆる「茶色」系のものが多くなったり。
元々、料理はわりと好きな方なのですが、余力があれば好き、くらいで、さらに、食べることよりも寝ることのほうがエネルギー補給になるわたしにとっては”きちんとした食事”の優先順位は気づくと低くなりがちです。
30代前半くらいまではそれでも良かったのですが、40に突入したあたりからこういう部分は見直していかないと体に響くようになりました。
そもそも、わたしは日々の生活を大切にするということがあまり得意ではありません。
日々の生活というのは、きちんと食事を取ったり、定期的に家を掃除したり、体調を整えるように管理したり。
年齢とともに自然にできるようになってきたので、いまではだいぶマシになりましたが、基本的に苦手です。
なぜ苦手かといと、学生時代は、起きてから寝るまで勉強や部活、サークルやバイト、友達との時間にすべてのエネルギーを注ぎ込んでしまうからです。
社会人になってからは、それが仕事や趣味のことに置き換わって、同じようにすべてのエネルギーを費やしてしまう傾向にあります。
好きなことや夢中なことにすべての時間を費やしてしまうので、日々の生活にかける時間がなくなる。家に返って、寝るだけになる。
以前、星野源さんのエッセイ『そして生活はつづく』を読んだときに思わず共感してしまう部分がありました。
どうやら星野さんも、きちんとした生活を送ることは苦手らしく、大人になって過労で体調を崩したときに、どうにも体が苦しくてやむなく家族に助けを求めたそうです。
そのときの、母親とのやりとりがこちら。
ただ、尋常でない体の痛さに、猛烈に心細かった。
すると母親は、半笑いで言った。
「過労?・・・・ああ。あんた、生活嫌いだからね」
「え?」
「掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」
(『そして生活はつづく』星野源 文藝春秋 より引用)
これを読んだ時に、ちょっとドキッとしました。
わたし自身も、まるで同じだからです。自分の母親に言われているような気がしました。
さきほど、料理はわりと好きと書きましたが、掃除はどちらかというと嫌いです。モノが散らかっているのは好きではないので、整理整頓はこまめにしますが細かいホコリを拭き取るだとか、カビが生えないように水回りに毎日気を遣うとか、そういうのは苦手。
これが、「仕事」となれば、好きだの嫌いだのという感覚はなくなってわりと徹底してやるのですが、単なる”自分の生活”ということだけになると、ものすごく適当になる。
自分でも不思議です。きっと、仕事となると”責任”が伴うからしっかりやろうと思うのかも。
星野さんが母親から言われたように、「生活を大事にしないとツケがくる」というのは、いまさらながら大切なことなんだなと感じています。
自営業なのでついつい、仕事にすべての時間を使いがちなのですが、その”仕事”を支える日々の生活を見直さないと、ガタが来やすい。
そうすると、必然的に仕事に費やせる時間も少なくなるので、結果的に仕事の時間の使い方も見直すことになる。
生活を大切にすることは、パフォーマンスの全体的な底上げにつながっているのかもしれませんね。
※記事中に紹介した星野源さんのエッセイ『生活はつづく』は気軽に読めておもしろいですよ!