スタジオを作ってインストラクターをはじめてから約3年。
この3年のなかで文字通り、老若男女、7歳~70代にわたって600人近くの方と接してきました。
日々、お客さんに接して学んだこと、悩んだこと、気をつけていることなどを書いています。
今回のテーマは、お客さんとの距離のとり方。
体を動かすサービス業なので、教える人はお客さんから親しみを感じてもらえるほうがいいと思っています。
無愛想なインストラクターってちょっと怖いなと思うし、ま、オーラを出したい人はそれでいいと思うけど。
初めての場所ではじめてのことをするときに教えてもらう人が無表情だと不安になるのでそれよりはにこやかなほうがいいかなと。
しかし、ひととの距離感ってみな違う。
わたし自身、実は初対面の人といきなり仲良くなったりできるタイプではないし、どちらかというと一定の距離を持ちたいほうです。
親しみやすさを過剰に意識した”なれなれしい”接し方とか、わかりやすい例でいえばいきなり名前を呼び捨てにされるとかは苦手です。
男女、年齢問わず。
なので、基本的にお客さんに対しては自然体でも一定の距離を持っています。
通っていただいているお客さんはだんだん教えていくうちにいろいろ分かってくることも多いし、お互いが距離感を縮めたいと思っているならば、きっと少しずつ縮まると思う。
と、頭では分かっていても、実は少々不安を拭えないときもあります。
お客さんの表情や反応が分かりづらいとき。
「おもしろいな」「体が伸びて気持ちいいな」「この筋トレきついな」など何かしらの気持ちを抱いたときに
とっさに言葉が出るひともいれば、言葉は出なくても表情に出るひともいる一方で、
表情も言葉も出ないお客さんもたまにいらっしゃるので、そういうときは「あれ・・?」と戸惑ってしまうこともある。
わたしとの相性みたいなのもあると思うのであまり気にしないようにしはしているのですが、表情が全く変わらなかったり問いかけにも返事がなかったりすると「うーん、果たしてこれでよいのだろうか・・」と感じてしまう。
だけど何度も通ってきてくれている。イヤならきっと来ないと思うし・・。
戸惑いつつも接していましたが、だんだん、本当に徐々になんですが、表情がやわらぐときがあったり問いかけにもスッと答えてもられるようにこの頃はなってきたお客さんもいます。
人見知りが強いのかそれとも他になにか理由があるのかはわかりませんが、まぁ、それはそれでいいのかな、きっとこのお客さんにとってのちょうどよい距離はこういう感じなんだろうなと考えて試行錯誤しています。
そういえば、フィギュアスケーターの羽生結弦選手のコーチ、ブライアン・オーサー氏の著書「チーム・ブライアン」にも
キム・ヨナ選手がブライアン氏のやり方を納得して受け入れてもらえたときのエピソードにこんな表現がありました。
私たちは4年間かけてヨナの喜びを彼女の外に引き出そうとしましたが、それはタマネギをむくようなものです。真ん中にたどり着くまでに、すべての皮をむかなければならず、結局、3年近くかかったのでした。文化の変化やトレーニングの違いに適応し、ヨナが完全に変化するには、それだけの時間が必要だったのです。
(「チーム・ブライアン」ブライアン・オーサー 講談社より)
「タマネギの皮をむくようなもの」という表現がいかにも!という感じです。
自分にとっても相手にとっても心地良よい距離感というのは、それを探り当てるまでには時間がかかるものなんだと思います。
時間はかかるけどお互いがストレスなく接することができるようにがんばっています。
ちなみになんですが「距離感」という表現は広辞苑によると、人と接するときの表現としての用例がないんですよね。
正しくはなんと表現するのがよいのだろうか?