アイデアを考えるとき、考えたアイデアを形にするとき、
どうしても最初に成功してるやり方を検索したり、効率的な方法に捉われがち。
「他人の失敗例は学ぶべき点はあっても成功例は意味がない」とアタマでは分かっているものの、なかなか切り替えるのは難しい。
ということで今日は、方法論は意味がない、について。
この方法でできた、は結果論でしかない
企画やサービスを考えて売る、という一連の流れには細かいことから大きなことまでとにかく決めることがたくさんある。
その意思決定するまでに当然いろいろ考えるわけですが、成功例を真似すれば同じようにできるかというとそういうわけではない。
方法は同じでも、定性的というか文字に表現しづらい部分で違うからだと思う。
例えば
- やる人の熱量、モチベーション
- タイミング
こういう部分は成功した事例の当時の状況を正確に把握しづらいし、できたとしても的確に表現することは難しいと感じてる。
でも、私の感覚値としてはこの部分が結構、成功の鍵なようにも思ってる。
「上手くいったのはあの時偶然、○○さんに会えたから」
「たまたま運が良かった」
みたいなことを聞くことありますよね?
私も過去にこれは上手くいったなと思うことは、狙いすまして何かをしたというより偶然が上手く重なったな、という印象が強い。
このやり方ならリスクは抑えられる、は参考になる場合もある
とはいえ、他者事例が全く役に立たないかというとそういうわけではない。
一つの取り組みに対していろんな人が試したやり方で、失敗した事例を見てみると共通したことを見つけられる場合がある。
その場合は、そのやり方をしなければ失敗するリスクは抑えられるかと。
良い例えがパッとは思い浮かばないけど、例えば起業することについては多くの方が失敗や成功体験を綴っている。
私が見た限り「発起人の権利がそれぞれ平等」「友達と起業」あたりは失敗確率を高める事例ではないかと思っている。
成功例も失敗例も肝心なことが書かれないこともある
このテーマを考えたときに、一番感じたのは、成功も失敗も、肝心なことが書かれていないんじゃないかと思った。
肝心なこと、というのは書き手やテーマによって変わってきますが、例えば次のようなこと。
表現が難しい
さきほど書いたように、表現しづらい部分の描写はまとめたくても上手く纏められない。
もしくは上手く纏めるのは時間がかかるから端折る。
例えば、私の場合はこの記事が肝心なところを上手く纏められずにほとんど書けていない。
なぜ書けない部分があるかというと、良い物件が見つかった最大の要因は「執着心が運を掴んだ」と思っているから。
この「執着心」にどういう思いがベースにあって行動に結びついてるか、って分かりやすく書こうと思うと私の執筆レベルでは真実から離れてしまう。
伝えたいことはこういうことじゃないのに、と思いつつ、そのまんま表現するとそれはそれでなんか違う。
だから上手く書けずに端折ってしまっています。
他者への汎用性が低いと勝手に判断している
上手くいったことや成功したことは素晴らしいやり方でもなんでもなくて「偶然が良く重なっただけ」とか
「書くほどの内容か?」と勝手に判断して書かない場合もあると思う。
なんとなく控え目になってしまう感覚。
狙い通りいったぜ、みたいなのはちょっと自慢っぽく聞こえるんじゃないかと考えて、そういう部分を書けていない人もいるのではないかな。
恥ずかしい
失敗に関しては、全部をさらけ出すというのは勇気がいる。
だから失敗例と言いつつ「これはちょっとさすがに書くとな・・」ということもあるかも。
このブログでは1年目を振り返る記事をいくつか書いてますが、自分でもこれは書いたら恥ずかしいか、と躊躇して表現できてないこともある。
良く見せたい
反対に成功した場合は、過大評価しがちになってしまって事実とは異なる表現になることもあると思う。
記憶が勝手に良い方へ上書きされるというか・・。
ちょっと話がズレるかもですが、お酒の席で過去の自慢話をしたがる上司とかって自分に酔いしれているから話が盛られている、ということがあるんじゃないかな、と私は思っていますが、それと同じ感じ。
まとめ
ということで今回は方法論にとらわれないほうがいい、と思う理由を書いてみました。
私は全く意識していないけどブログもそうですよね。
何カ月で●●万PVとか、アフィリ収益が数ヶ月で●十万とか、そういう事例を書いているブログも多いですけど成功要因が本当に全部書かれているのかな?と思っています。
何にせよ、最初から効率的な方法にとらわれることよりも、ひたすら挑戦しつづけて省みるのが一番だと思う。