トップコーチに学ぶ:プレッシャーに勝つメンタルのつくりかた(サーシャ・バインさん)前編

この記事は過去に放送されたテレビ番組の内容を基に、トップアスリートやコーチの指導方法を一部抜粋して、そのコーチングを考察しながら理論と実践の融合を学ぶ目的で書いています。わたし自身のための学習ノートのようなイメージです。

児童・生徒にスポーツを教えている人、コーチング方法を模索している人に、参考となる部分があれば嬉しいかぎりです。

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トップアスリートに学ぶコーチングシリーズ、一人目はバドミントンの潮田玲子さん、二人目は末續慎吾さんの事例を考察しました。

 

今回は記事のタイトルが”トップコーチ”となっているとおり、まさに2018年WTA年間最優秀コーチ賞を受賞したテニスコーチのサーシャ・バインさんの事例です。

サーシャさんは大阪なおみ選手を世界ランク1位に導いたコーチとして話題になりましたので、テニスをよく知らなくてもご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

NHKBSの『奇跡のレッスン』という番組で、サーシャさんが大阪の高校生に1週間指導する様子が2020年に放送されました。今回はそれを基にコーチング方法を考察していきます。

これまで考察してきた潮田さん、末續さんは指導対象が小学生でしたが、今回は高校生が対象です。

また、『奇跡のレッスン』は”1週間のレッスン”を基本とした番組で、最終日に試合や模擬発表の場などを設けてレッスンの成果を確認する構成になっています。

なので『グータッチ』とはまた違ったコーチングの様子が見られます。

 

そして、今回のテーマは強いメンタルをつくる!プレッシャーに勝つ!

末續さんの事例と少し似ているかもしれませんが、相手と試合する競技であること、さらに高校生が対象ということもあって「試合を楽しむ」のもう一歩先の、よりトップアスリートに近いレベルのメンタル指導だとおもいます。

 

 

1.番組概要とレッスンの目的など

  • 放送局・番組名:NHKBS 『奇跡のレッスン 女子テニス  サーシャ・バイン(ドイツ)強いメンタルは限界の2%先に』
  • 放送日:2020/2/27
  • レッスン対象:大阪の私立高校、女子テニス部(過去には全国大会の出場経験あり、撮影時の成績は府大会ベスト4
  • レッスン期間:2019/11、1週間
  • 目的:試合でのプレッシャーに打ち勝つ、あと一歩を踏ん張るメンタルの醸成
  • コーチ:サーシャ・バインさん(セリーナ・ウィリアムズ選手のヒッティング・パートナーを8年経て2017年11月から大阪なおみ選手のヘッドコーチに。当時世界ランク68位の大阪選手を1位に導く。2018年WTA年間最優秀コーチ賞受賞)

 

2.コーチング対象の分類

スポーツ指導はスキル指導がメインに思われがちですが、どんな指導をしたかを整理しやすくするために、わたしなりに次のようにコーチングの対象を分類しました。

  • スキル:競技特有の動き、動作、用具の扱いなど、競技の主体となる直接的な技術
  • フィジカル(基礎体力):競技パフォーマンスの向上を支える、筋力や持久力、柔軟性など
  • メンタル:練習や試合のときの気持ちの持ち方、心構え、モチベーションなど

この3つの分類でサーシャさんのコーチングの特徴を整理してみます。

 

3.番組でのコーチングの特徴

 

高校生たちはサーシャさんにどのような指導を期待しているのでしょうか。

初日のレッスン前のインタビューでは、生徒が次のような課題を挙げていました。

「ミスしたときに気持ちが下がってしまう」

「精神的にやられて負けていることが多い」

 

また、顧問の先生も

「過去の結果で相手が強いと思って、試合する前に自分で結果を決めてしまっているように見える」

「自分たちを信じる気持ちを持ってもらいたい」

とコメントされていました。

 

府大会ベスト4という一定の実力がありながら、試合になるとプレッシャーに負けて思うように発揮できない。

ということを克服したい様子です。

 

『奇跡のレッスン』では1週間毎日レッスンが基本です。

それぞれの日で中心となったトレーニング指導は次のような内容です。

  • Day1:スキルトレーニング
  • Day2:フィジカルトレーニング、スキルトレーニング
  • Day3:スキルトレーニング、メンタルトレーニング
  • Day4:フィジカルトレーニング、映像分析によるスキルトレーニング
  • Day5:スキルトレーニングを通したメンタルトレーニング
  • Day6:スキルトレーニングを通したメンタルトレーニング
  • Day7:実践(強豪校との練習試合)

 

課題を克服するためのポイントは、青字のDay3〜6でのコーチングにあるのではないかなと思いました。

なお、全部を一つの記事に収めると長くなるので、前編・後編に分けてコーチングの様子を説明しながら考察していきます。(前編:Day1〜3,後編:Day4~)

 

4.事例:アドバイス→即改善→自分で改善策を考えられるようになるためのステップ

まずはDay1からDay3までの様子について、かんたんに説明します。

 

◎Day1:一人ひとりのフォームをチェック、改善ポイントはすぐに伝授

コーチが誰なのか知らされていない生徒たちはサーシャさんの登場に大興奮!

あいさつを交わしている間も興奮冷めやらぬ空気のままでしたが、さっそくいつもどおりの練習を開始。

サーシャさんは一緒にボールを打ち返しながら一人ひとりにアドバイスを伝えます。

アドバイスを受けた生徒はすぐに実践して今までの自分のテニスとの違いを理解し、上達を実感できている様子でした。みんな嬉しそうです。

 

また、初日の練習終わりには部員全員を集めて伝えます。

「トッププロの練習に秘密なんてない。みんなと同じような練習をやっているよ」

「1秒は誰にとっても1秒」

「その同じ時間をどう使うのか、そしてどれだけの努力を続けられるか。大事なのはこの2つ」

「それを実践していけば、君たちが人生で成し遂げたいと思う大抵のことはうまくいくはずだよ」

2020.2.27放送NHK BS『奇跡のレッスン 女子テニス サーシャ・バイン(ドイツ)強いメンタルは限界の2%先に』より引用

 

これから始まる1週間のレッスンの心構えでもあるように感じました。

生徒たちの表情も、「あこがれのコーチ」の眼差しから「指導をしっかり受けられるようにがんばろう」という様子に変わってきているように思えました。

 

 

◎Day2(その1):ミスをおそれない、練習で試して成長を目指す

朝9時に始まった練習は、まずはウォーミングアップから始まります。

3キロのボールを使ってパスしながらのアップや、テニスに必要な足の動きを重点的にトレーニング。

 

そのあとはボールを使った実践練習に入ります。まずはボレー。

後ろを向いた状態で声をかけられたら振り向いてボールを打つという、一瞬の判断力や反応を鍛える練習。

集中力のいる練習なので疲れが溜まっていない早い時間に実践するのが有効だそうです。

さらにコートに置いたマーカーを目印に打ち返す練習。

うまくいかない生徒がいても、ミスを気にしないで練習でどんどん試すように指導しています。

 

 

◎Day2(その2):超えられない身近な壁の存在

2日目は練習後に校内でサーシャンさんの歓迎会。

生徒たちはサーシャンさんに歓迎のダンスを披露したり、手紙に書いたメッセージを読んだり、お互いのコミュニケーションをはかってサーシャさんとの距離も初日に比べて近づいているようです。

 

でも、エースのユウカさんのメッセージはちょっとネガティブなものでした。

「私はテニスが嫌いです」「2歳の頃から姉がテニスをしていて、テニスをするのが当たり前の環境で育ってきました」「テニスは私の人生の一部です」

「姉は引退しましたが、姉に勝てない自分がいます」

「いつも姉と比べられずっとコンプレックスでした」

「コンプレックスを克服するためのテクニックと強いメンタルの鍛え方を教えてください」

 

地区大会では何度も優勝している実力がありながら、あと一歩を踏ん張れない。「自分はここまで」と決めてしまっていて苦しそうです。

サーシャさんは「一緒にがんばろう、お姉さんとは比べる必要はない。ユウカはユウカのテニスをすれば良いんだ」と優しく声をかけます。

ユウカさんはうなづくものの、自信を持てない表情は変わらない様子でした。

 

 

◎Day3:「最高の自分になるため」に必要な練習

練習前にみんなを集めて話をします。

「この2日間、一生懸命練習をしてくれてありがとう。とても感謝している」

「でも、一つだけ伝えておきたいことがある。僕がここに来たのはみんなの力になりたいからだ。楽しませるためではない」

みんなが『最高の自分』に近づけるように手助けしたいんだ

「今日の練習はきついぞ!ヘトヘトになるよ」

 

サーシャさんの話を受けて、生徒たちの空気が少し変わったようです。

 

空気が引き締まったところで練習開始。

まずはサーブ練習。

 

1年生ながらチームNo.2の実力あるフウカさん。

ファーストサーブとセカンドサーブを同じように打っているようで、サーシャさんから「セカンドサーブはプレイを始めるサーブだから絶対に外してはダメ」と指摘されます。

そして、ベースラインの3m後ろから「ネットを越えるように打って」と打たせます。打ち方の指導はしません。

いつもと同じ打ち方ではネットは越えられない。もう一度打つ。今度は入る。

サーシャさんは何度か練習させてから正しい位置に戻ってサーブを打たせます。

しっかり入りました。

 

そして、フウカさんにこう訊ねます。

「なぜ後ろから打たせたかわかる?」

フウカさんはボールの軌道が変わったことを伝えています。

サーシャさんは、フウカさんの回答を少し修正しつつも、フウカさんが理解していることを確認できた様子でした。

 

練習開始から1時間後、予告どおりのきつい練習が始まります。

コートに順番に並んでボールを2回打つ、コートの折り返しは素振りしながら走る、またすぐに順番が来るという繰り返し。休む間もないので脚に疲労がすぐ出そうです。

 

その後もさらにきつい練習は続きます。コートに二人づつ並んで6球打ったら交代、待っている間もうしろで細かいステップをしながら足を止めない。

そして、最後はドロップショットを拾う練習。

 

きついながらもボールに必死に食らいついていたユウカさんは練習後にこう話していました。

「サーシャコーチに教われるのは今だけなので、少しでも工夫したほうが分からないことも見つかるかなと思ってやってました」

昨日「テニスが嫌い」と話していた表情とは打って変わって、力強い様子です。

 

また、サーシャさんは練習後にきつい練習の意図について、カメラにこう話していました。

「試合と同じようにはいかないけれど、強いプレッシャーのかかる状況を作ってみました」

「肉体的にきつい状況でこそメンタルが鍛えられます」

「疲れて苦しい状況をどうやって打破するか。自分の限界にあと2%上乗せしてなんとか乗り切ってほしいんです」

 

サーシャさんの意図するところは生徒に事前に伝えられている様子はありませんでしたが、ユウカさんは自分で考えて乗り切れたのではないかなと感じました。

 

 

5.コーチング理論:スキル習得を高める「指示」の出し方、プレッシャーを乗り越えるために必要なこと

 

Day1、Day2の練習では、サーシャさんが具体的にアドバイスをして実践させる。それによって改善できることを理解したり、上達できた喜びや自信、満足感を生徒たちは感じたようです。

この「改善すれば上達できる」状態をベースに、さらに高みを目指すならば自分達で改善策を考えないと乗り越えられない、どんなきつい状況でも自分でなんとかしなければならないというのがDay3のメッセージであり、それを実践するための練習内容だったのではと考えます。

 

5−1.スキル習得を高める指示の出し方

 

コーチング理論では、スキル習得・運動学習と指示の関係性について次のように考えられています。

  • 明示的指示:ルールを与えるような記述的な情報
  • ガイドつき発見:どのような課題を達成するかは明示はせずに動作全般の目標、課題達成の重要な刺激を提供
  • 発見:課題の最終目標を選手に提供、指示は出さない

(中略)発見的指示の様式により、学習の過程が長引くこともあるが、明示的指示はストレスの高い環境下ではパフォーマンス低下させることがある。注意をむける必要性が減少することで、発見およびガイドつき発見の指示様式は、選手が課題に関連した信号や課題の実行への集中を高めることができる。

(G.Gregory Haff , N.Travis Triplett編 篠田邦彦・総監修「NSCA決定版 第4版 ストレングストレーニング&コンディショニング」ブックハウスHD 第8章 競技への準備とパフォーマンスの心理学より引用)

 

サーブ練習中のフウカさんへの指示は、上記の分類においては「発見」にあたると考えられます。

「うしろから打って、ネットを越えるように」そのためにどうすれば良いかは自分でやりながら工夫して考えてみてほしい、という意図があったのはないでしょうか。

自分で考えて改善する経験を練習のときから取り入れておくことで、苦しい試合も乗り切れる、そのベースをつくっておけるのではないかと考えます。

 

 

5−2.言葉に置き換える必要性

 

サーシャさんはフウカさんに「なぜ3m後ろから打たせる練習をさせたのか」を問いかけ、フウカさん自身の言葉で伝えられるか、どこまで理解しているのかを確認しました。

実践できたからOK、では終わらずに必ず本人の言葉で確認させるようにしていました。

 

A.サカーロフは、人は問題なく事が運ぶ時には発語は不要だが難題に直面すると言葉を使って解決しようとする、と述べていて、これは問題解決の際の人間の習性と言葉の重要性を示唆しているものと思われる。

レベルの高い相手と対戦する時には、連続して難題に直面することが多く、適切な状況判断と合理的な問題解決方法の採択を瞬時に行う必要がある。常に脳を活性化することが求められ、そのためには言葉をフルに活用する必要があるだろう。

(尾崎常博・山崎健(2010)、テニスのゲーム展開と選手が使う言葉との関連-セルフトークについてー 新潟体育学研究vol.28より引用)

 

「理解したことを言葉に置き換える」というのは、ふだんの生活のなかでは何でもなさそうな、特に意識しなくてもできるような感覚もあるかと思いますが、初めて理解したこと、知ったことのすべてを言葉に置き換えようとすると、わりとエネルギーを要します。

認識した状況を順序立てて文章にするというのは、かんたんなようで難しいとおもいます。

言葉にしてみて「あれ?なんか違ったな?」と思ったり、誰かとの会話でも「違う伝わり方をしたかも?」と言い直すこともあったり、そういう経験、ないでしょうか?

サーシャさんはフウカさんから言葉を引き出すことで、フウカさん自身に再認識させたかったのではないかなとも考えられます。

 

 

5−3.肉体的にきつい状況とメンタルの関係

 

肉体的に苦しい練習とメンタルの関連を考えるとき、「根性」という言葉が思い浮かんだり、最近ではいわゆる「しごき」みたいな練習の是非が問われるようになってきていると思います。

メンタルを鍛えるための厳しい練習と、ただの「しごき」は明らかに違うだろう、と頭のなかでは理解していても、理論の世界ではどんなふうに考えられているのかとても気になっていました。

しかし、まだわたしの勉強不足で厳しい練習とメンタルに言及した研究論文などの文献にたどりつけていません。というか、どんなキーワードなら探し当てられるのかすら、模索中。

 

ですが、わたしなりに「こういう事実を基に考えれば、きつい練習がメンタルを鍛える要素といえるのでは」と思うところはあります。

厳しい練習がメンタルを鍛えられるといえるためには、個人的私見ですが、「思考するにはエネルギーを要する」「考えて実践するには習慣が必要」という2つの観点があるかどうか、と考えます。

 

たとえば「頭を使うとお腹が空く、甘いものが欲しくなる」という感覚は多かれ少なかれ誰でもあることと思いますが、脳のエネルギー源はグルコースです。

このグルコースは当然、運動中も筋肉を動かしたり肺に酸素を送るためのエネルギー源としても使われるので、試合中にあれこれ思考するということはエネルギー源の枯渇を早めますし、平たくいうと”とても疲れる”。

 

また、5-2.で触れたように、身体の動きや視覚から入ってくる情報を言葉に置き換えて再認識する行為はかんたんなようでやってみると難しいものです。エネルギーも使います。

 

息が上がって苦しい、脚も重い、相手とのリードが広がっている・・そういう状況でもプレーを続けながら身体への指令を瞬時に判断する、これをいきなり試合で実践することはまず無理ではないかと思います。考えようにも経験値の引き出しが少なければできる対応も限られます。

とくにテニスのように相手次第で状況がどんどん変わるような競技は「きつい状況下での経験値」が勝敗を分ける、といえるのではと思います。

 


前編はここまでです。

後編は、主にDay4~Day6の様子をご紹介しつつ、サーシャさんのコーチングを考察していきます。

最終日に行う強豪校との試合を前に、プレッシャーに打ち勝つために必要なこと。きつい練習を乗り越えること以外にもさらにもう一歩踏み込んだメンタルの在り方を考えていきます。

 

【参考文献】

  • G.Gregory Haff , N.Travis Triplett編 篠田邦彦・総監修「NSCA決定版 第4版 ストレングストレーニング&コンディショニング」ブックハウスHD
  • 黒木俊英(監修)・小野良平(訳)(2019)、ひと目でわかる心のしくみとはたらき図鑑(イラスト授業シリーズ)
  • ヴァンデン・オウェール・Yほか編(2006)、スポーツ社会心理学研究会【訳】体育教師のための心理学 大修舘書店
  • 尾崎常博・山崎健(2010)、テニスのゲーム展開と選手が使う言葉との関連-セルフトークについてー 新潟体育学研究vol.28
  • 河田光博・三木健寿・鷹股亮編(2020)、栄養科学シリーズNEXT 人体の構造と機能 解剖生理学 講談社

 

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